昨日の末端idは438902でした。
我らボトムアップ学習法の徒、あるいは鰤コラージュ
問題駆動な勉強法 - 発声練習
知識体系へのアプローチの仕方はボトムアップ的なものとトップダウン的なものに分けられる。この場合、問題駆動の学習はボトムアップ的アプローチ、体系的知識の構築はトップダウン的アプローチであるといえるだろう。無論、実際の学習の場では両方が細かく入り混じり、また視点によっても変わってくる。
知恵の編み目
とはいえ、実際そんなに洗練された知識体系というものはない。故に体系的知識を身に付けるには網羅的学習が必要になり、また体系化の為の取捨選択が重要である(が、この努力とそのための方策は通常隠される)。例として、理系の大学がこの世から消えうせてもなくてもHClの水溶液に金属硫化物を投入すればH2Sが発生するけど、これが文学批評なんかの世界だと、批評主体が属するグループにより体系が大きく変わってしまう。まるでアカデミーの組織的体系が全てに先立つかのようだ。
参考: 「知的」と「莫迦」と相対主義 - ohnosakiko’s blog
しかしながら、納得のいかない学問ほど実はボトムアップで考えると得心が行く(心情的に)傾向があったり。なので、トップダウンありき←変ではない。しかし実際はそのボトムうpの為にトップダウンな知識をアレする必要があったりしt
ではそのボトムアップのつぎはぎであたかも体系的であるかのように装うものが全部ダメかというと、別にそんなことはない。むしろトップダウン的教育ファックオフ。ボトムアップ学習だけが真理への道しるべ。特に情報系の学生、プログラミングの学習者はみんなそうなんじゃないかしら!! て思ってgoogle:bottom-up-learning hackerで検索していたらこんな言葉が出てきた。
wikipedia:ブリコラージュ
そうそうこれこれ。id:softether:20070324#p1あたりがホッテントリに上がってきてたのを見たときに思ったのもそう、行数数えたことはあんまりないけど、普通ある程度でかいコードを書く時って取り掛かれそうなところから何とかなりそうなところまでガーッと書く→とりあえずコンパイル通るようにする→ない機能を足す→コンパイル通るようにする→…を延々繰り返すよね? 果たして他に一体どんな手段で書くというのか。月に数百行ぐらいのペースで綺麗なコードを緻密に書く人の方が稀な気がする。接続された心―インターネット時代のアイデンティティは読んだことがないのでどうとも言えないが、実のところハッカーだのギークだのを自認する人間の大半がこの手法の者で、ライフハックにGTDだとかアジャイル開発だとかXPだとかソースの品質管理だとかスーツとの摩擦だとかいったトピックスがもてはやされるのは、ブリコルール性であるが故の限界を克服するための努力なんじゃないかと思っていた。一部の人がやたら金の話を好むのも、トップダウン的手法を押し付けられない地位を手に入れるために経済力が必要だと考えれば同情できる。
むしろ人がどうというより機械科学全体が成立からずっとブリコラージュ的で、とりわけソフト寄りの計算機科学はその最たるものであると感じる。計算量のアレの正式名称がO-記法なんて、大学辞めさせられて情基の問題集買ってから初めて知ったよ。それも凄い出来の悪いカンニングペーパーみたいなので何が何なんだかさっぱり分からないしな。結局トップダウンで学ばなければならないが、先ほど書いたようにトップダウンの概念は大半の学問でボトムアッププロセスによる骨格が出来上がった後の付けたしである。ちなみにあの頃は今ほど検索エンジンが賢くなかったので、OだとかCだとか1文字アルファベットの語句が入り込むとたちまちアホになった。結果として、計算量の記法そのものどころか、どんな本のどこを読めば適切な情報が手に入るのかすら分からなかった。死んだよ間に合わなかった。またボトムアッププロセスを採ることにしたところで、ブリコラージュ的性質が強く現れ、つまりSFUAWSC的に、経験の共通点が無駄に抽象的で成果物そのもの以外を流用しづらいのである。スピード感を競技水泳用ウェア並みに強調するIT業界のこと、そこでまた超困る。
何度か書いたような気がするし書いてない気もするが、一部の先生がプログラムなんてパートのおばちゃんの仕事というのも、このブリコラージュ性によるソフトウェアエンジニアリングにおけるトップダウン理論の存在感の薄さを指しているのだろう。もちろん、アカデミーで学ぶことじゃないという意味で、実際今時パートのおばちゃんに任せて安全なプロジェクトなんて(そのおばちゃん集団が全員凄腕のハッカーでなければ)ありえないけど。単にハードウェア寄りの発想による発言といえなくもないが、ソフトにおけるコーディングは設計の要なので根本的に感覚が違うというか、まあ普通のアプリ製作もわざわざ情報系大学出てやる仕事じゃないといえばそうかも知らんね、っていう。外国語って自分で作文しなきゃ身に付かないよねでも辞書と外国のwebサイトだけ見てやってたら死ねるよね室内純ボトムアップ危険つーかきりがない外国語講座が横糸でボトムアップ的プロセスが縦糸でもちろん横糸だけでもただのボトムアップと変わりないよいう話をしようとしたのに何故こんな方向に。ああ、字句解析とか構文解析はブリコラージュとアカデミズムの麗しい交差点ですねーそうですね!! と思ったけど、人間による自然言語の学習の問題にはいまいち生かされてない気がする。もちろん機械言語の学習にも生かされてないよ!!
[例によって結論はない]