皆が三十路膝に夢中なうちにしょっぱい例え話を書いておこう

 
 うん、「また」なんだ。済まない。仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。でも、この日記の長文具合を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない、非コミュにおけるg:flicker:keyword:フォルネウス型の予感みたいなものを感じてくれたと思う。
 殺伐としたはてな村番外地の中で、
「俺非コミュっスよwwwwwww」

「じゃあ俺コミュ強者wwwwwwwwwwwwwっうぇ」
と、どちらを答えに選んでも痛い子の烙印は逃れられない、そういう状況なんだ。最近っうぇって見ないな。でもこういう時、至高のコミュ強者ならきっと、誰も傷つかない回答を用意できる。そうして、今一度コミュ幻想を維持することにより回答を保留するという、メタな非コミュっぷりを示してみたんだ。さあ、本文を書こうか。長いな。

モテ問題への写像

 blogやブックマークがあらかたSNSサービスに非モ付け*1されている世界を考えてみよう。かなり出来のいいアバターが付属していて、雰囲気の再現度の高さは文句なし(=プライバシーを問題にせず顔写真うp的)とする。アバターの美醜とモテ非モテの関係は如何に。アバターすら作れない人が最強の非モテ⇒視線恐怖・醜貌恐怖が最強という流れか。じゃあ、視線恐怖を抱えつつ普通に異性付き合いをこなしてきた人と、ブサアバタールッキズム被害受けまくりだけど超外向的な自信家って、どっちが非モテ?
 とりあえず、

  • 非モテ非コミュじゃルッキズム・エイジズム・ジェンダー問題etcの濃度が違う
  • 場面緘黙が不安障害的機序を持つと指摘される*2一方、醜貌恐怖・視線恐怖のように「コミュニケーションに失敗するのが怖い(ので発言しない)」は病的と取られない傾向
  • コミュニケーション欲と性欲の違いについて考える必要がある

とか思いついた。

*1:何つう誤変換

*2:cf. id:torly:20070228#1172643935