江戸の人っておしゃれ

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江戸と上方だけだったでしょうが、江戸時代の庶民のファッションへの関心は並々ならぬものがあったと思います。
杉浦氏が解説だった頃か次の方かは忘れましたが、お江戸でござるシリーズの解説コーナーで、江戸の最先端のファッションを扱った回がありました。シーズンは夏で、男女とも洗い髪のようなナチュラルな髪型に、浴衣のような淡色の軽い生地の着物だった記憶があります。何というか、現代人の私の目から見ても最先端である(だった)ことが分かるような、そんなスタイルでした。
特に女性は、白粉を塗った後湯浴みし、毛穴だけ粉で埋めながら素肌に近い状態に仕上げるというテクニックまで紹介されていました。http://powder--room.hp.infoseek.co.jp/m2.htmlを見た前後だったので記憶に残っています。現代にも通じるメイクテクニックというか、まあ、粉も水もティッシュも沢山使いそうな。白粉は小間物屋の商品ですし、湯浴みも銭湯なら多分タダじゃないでしょうね。
http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/batou/hp/h15_exp.html#150417
http://okwave.jp/qa2073632.html
http://www.kiseido.com/printss/bij.html
浮世絵のモデルの流れだけを見ても、男が演じる役から生身の女へ、公娼から私娼へ、やがて性産業に従事していない市井の女性へと拡散しています。
農村についてですが、宮本常一の「忘れられた日本人」に、若い女性の都市志向についての話があります。
「昔は、若い娘たちはよくにげ出した。父親が何にも知らない間にたいていは母親としめしあわせて、すでに旅へ出ている朋輩をたよって出ていくのである。(中略)藩政時代には萩の城下へ行く者が多かったが、一方船便を利用して伊予の松山へ行く者も少なくなかった。(P.115)」
村の方言は野蛮な感じがするので、いざという時には都会の言葉で喋れるのが「甲斐性のある女としての条件」(男性は?)だったそうです。
着飾るか否か、異性の視線を取り込むか振り切るか、都会へ出るか出ないかは、何か同じ匂いのする二択のような気がします。マルクスの言う物神崇拝的な。上手く言えませんが。

 あと書き忘れたけども、痩せるためにおからばっかり食べてて餓死しかけた娘が居たらしいという話も聞いた気がする。瓦版だったらわりとあることないこと書くので参考にならないけども、一応。