What you wear is what you are

江戸〜明治初期の農村恋愛模様より

 id:torly:20070512#1178917187で少し触れた宮本常一ネタをもう少し掘り下げてみる。
 忘れられた日本人 (岩波文庫)民俗学の旅 (講談社学術文庫)には宮本翁の祖父母の馴れ初めの話がでてくるが、これが何だか凄い。

  • 百姓でありながら剣道では誰にも負けたことがない。
  • 控えめな性格で、家が赤痢の流行源になったために社会的制裁を受けていた。それでも女にはモテモテ、男には一目置かれていた。
  • 同い年の祖母とは相思相愛。赤痢の件の為に相手の家族から一度は拒絶されるものの、祖父は一心に待ち続けた。

 ええと、これなんていうライトノベル?
 やがて祖母は疱瘡にかかり、痘痕を得てしまう。

市五郎には十七、八のころからすきな娘があった。きりょうもよいし、すこしはでなところもあって、むやみに若い者をよせつけないようなつめたさももっていた。そういう女は決して世帯もちがよくないからといって親の善兵衛は結婚に反対であった。そのうち善兵衛が死ぬと、相手方の親も貧乏な家へ娘を嫁にやるのは反対だといってゆるさなかった。しかし、娘はどこへも嫁にいこうとしない。二人は同じ年であったが、こうして二十をすぎた。そのうち疱瘡がはやって娘はそれにかかった。そしてすこしミッチャ〔あばた〕になった。娘の親が市五郎に「ミッチャになってもすきか」ときくと「すきだ」と答えたという。

忘れられた日本人 P.196

 しかしその後も波乱万丈。近所の子供の火遊びで火事を出し、一気に生活はどん底に。社会的制裁もますます重くなる。でも市五郎さんはまた一味違う。

貧乏な家へ嫁に来るのだから、はげしい労働に息つく間もないような生活を強いられるのではないかと、娘の親が市五郎に聞いたら、市五郎は「女房を野山の働きには一生使いはしない」と言ったそうである。事実祖母はどんなにいそがしい時でも田や畑の仕事をすることはなかった。そして毎朝髪をくしけずり、小ざっぱりした着物を着てすごした。

民俗学の旅 P.15

 元々家で糸を紡いだり、機を織ったりするのが既婚女性の主な仕事だった地域だからでもあるらしい。ここで身づくろいについての具体的な言及が出てくる。

どんなにいそがしい時も田畑に出ることはほとんどなかったし、いつもキチンと身ぎれいにしていた。その死ぬるまで髪に白いものがほとんどまじらず、それを油とびんつけできれいにしていた。

忘れられた日本人 P.210

 お歯黒はどうだったんだろう? と思って検索してみたら、Wikipediaに記事があった。

江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間では殆ど廃絶、又、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって既婚女性、未婚でも18〜20才以上の女性、及び、遊女、芸妓の化粧として定着した。農家においては祭り、結婚式、葬式、等、特別な時のみ、お歯黒を付けた(ごんぎつねを参照)。

お歯黒 - Wikipedia

 十日(とおか)ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内(かない)が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋(かじや)の新兵衛(しんべえ)の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、
「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。
「何(なん)だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」
 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間(ま)にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢(おおぜい)の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭(てぬぐい)をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋(なべ)の中では、何かぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。

新美南吉 ごん狐

 で、あのコメントを書き上げ、寝て起きてあることに気付く。

女子大・芸術学部・可部・市内

 多分鯖女論争*1発のファッションに関する議論があって、ファッションはセックスアピールの為か否かという話になっているが、そもそもジェンダーと装いに関してある前提が抜けているのではないか。
 おはぐろは既婚女性、農村では冠婚葬祭だけ。普段から絹を着ている農民は養蚕業が盛んな村の出。女物の服とメイクは「女装」で、女受けを意識する男はモテを意識している。何を着るか―日常的に、こなして着ることが出来るか、あるいは失敗するか―は、その人が何であるかによって拘束されている。また、何を求めるかによって、自ずから装いの方向性も限られてくる。
 現代人には江戸時代のような身分がないが、それが逆に、ファッションで自らの属性を適切に示さねばならないという圧力を生んでいるのではないか。丁度昨日cool Japanで組まれてたイケメン特集によると、ヤングメンズファッションの発信地は東京だとのこと。そういえば、日本は制服大国でもあったっけ。
 今はどうか知らないが、電車でよく乗り合わせる某私立女子大生のファッションは大きく3種類に分けられる。ルーズな古着・ボーイッシュ寄りのカジュアル(たまにストレッチじゃないジーンズをルーズに穿いて、見せるようにはデザインされてないタイプの下着が見えていることも。かつて猛威を振るった、男子高校生の下がりズボンを連想させる。狙ったものではないだろうが、そこまでボーイッシュになるとは!)、JJ系の、今なら読モもどきの集団、さすがにガングロは控えめのコギャル上がり。いつから気付いたのかは忘れたが、明確に共学大の学生とは違った装いの集団だった。芸術系はもっと際立っているし、高校以前ならば、違いを明示的に作らせるルールもある。校則・制服に加えて、生徒が自発的に維持している体育会系部活の学年規則は(些細なので分かりづらいが)外せない。可部と市内(広島市市街地)で浮かない服のタイプが違う。所謂きれいめのテクスチャやディテールは、茶・ベージュの「可部色」一色であっても、市内で着られる雰囲気を作るのだ。これは経済力と結びついているか? 分からない。しかし、ずっと可部だけで過ごした方が安上がりだが、高い服を買いたいなら市内スタイルを意識した方が良いと思った。
 ファッションの放棄はある種の身元の隠蔽になりえ、多分「女装」をしない同性に対する苛立ちは、ここに大いに関連しているのではないだろうか。見た目からばれるのは、職業や収入の多寡、BCの人々がご執心な意味合いでの健康状態だけではない。何処に住んでいる? 学生か? 大学生なら、どんな学校か?

*1:http://anond.hatelabo.jp/20070506165919 id:torly:20070509#1178721463 id:torly:20070510#1178805672