の両方が揃っていて、初めてマナー的な何かが成立していると見なされる気がする。
礼儀や思いやりの問題を分析する言動が、特に今そのマナーが必要とされている場において拙い(とされている)のは、管理される心―感情が商品になるとき流に言えば「これで誰が得をするのか曖昧にしておくことにより、得をする人間(話の流れで言えば、社会的に地位が高い者)の権利、損失の正当性を疑えないようにするしくみ」を損なうからである。一方、このマナーの両輪という観点からすれば、礼儀を論ずるのは(大抵)礼儀を実行したことにはならないからである。ましてや質問するだけでは、マナーを知っていることすら証せない。むしろ真逆。
これを「社会に出たら女性は化粧をするのが最低限の身だしなみ、もちろんTPOは押さえて過剰にならないように」というアレに例えたら分かりやすいかも知れないと思った。
- 知っててもやらなければ知らないのと同じだし、周囲もいちいち知ってるかどうか問いたださない
- しつこく問う人が現れたら小町空間になってしまうが、案外現れるから困る。この辺は違うか。
- やらない方が合理的だとか、皮膚が弱かったり似合う色がなかったりしてやらない方が外見的にずっといいとかいった言い訳は(何故か)聞き入れられない
- まあ、これはそもそも問いただされないからか。
- すっぴんはマナー違反だけど、明らかに化粧化粧した顔になるのも失敗。結局すっぴんにしか見えない化粧顔という矛盾したものを追い求める羽目になる。というか明らかにきりがないからやりたくない\(^o^)/なんでなんで? なんで女子だけ化粧しなきゃいけないの? 女子は化粧で綺麗になるものなら俺女子じゃないんじゃね? なんでなn
id:godmothers:20080218:1203323918を見て思いついた事を書こうとしたのに、凄まじく関係なくなった。