何でもコンプっていうの禁止

 入院して手術して何が一番驚いたかって、何も出来ないんだぜ。本もとてもじゃないがまともに持ってらんないし、携帯いじるのにも気を遣うし。アレだ、がんで余命宣告されたら仕事とか止めてフリーダムに生きればいいじゃなーいと考えたりすると思うけど、抗がん剤使ってたり手術受けた後だったりすると本を読む体力もなくなるんじゃないかしら。ましてや絵描いたり旅行したりとか、仕事や家事に疲れて出来なかったことをやろうなんて無理無理。

ああああああ
健康になりたいよおおおおおお
というのは、健康コンプでしょうか。最近やっとその大切さに気づきました。遅すぎるぜ…!

http://anond.hatelabo.jp/20080416204126

 いや、車椅子の人がバリアフリー設備が駄目駄目だと介助者に迷惑かけるから行った事ある建物以外は不安だなーって言ったらコンプレックスか? ガン患者が抗がん剤でだるくて何もできる気しないワーって言ったらコンプレックスか? 違うだろう。本人がどう思おうと、介助者の腰痛が悪化して代わりが用意されなければ生活に差し支えが出るし、本を保持する体力がないのは変わりない。コンプだろうがコンプじゃなかろうが関係ない。
 やたらコンプレックスばかり問題視するのはこの場合本質的でないどころか、心理的健全さを保てば精神病になりえないなどというオカルトめいた世界に踏み込んでしまう。健康問題につけこんで引きずり込むのマジ禁止。さっきの例で言えば、筋力が持たなくて本を読むのが不自由ならブックスタンドやブックホルダーを使えばいいし、バリアフリーを謳いながら車椅子で使用しづらい建物があるのがまず問題である。しつこいようだが、コンプレックスを解消する方向に努力しても出来ない事は出来ないし、本人の内心のコストしか減らない。ついでに、力動精神医学的概念を持ち出すなら、本人が自覚する劣等感と他人が指摘するコンプレックスが問題の原因として等価というのは奇妙な感じがする。
 id:torly:20080316#1206030625で指摘したかったのもこういうことで、まあでも具体的な方法論を欠く記事から勝手に教訓を読み取るというビジネスエントリ法からすれば、一連のマッチョウィンプトークからもそれなりにビジネスパーソンとして失敗しないための教訓を得る事が可能でもなくもない。すなわち、客が行動しない、あるいはちょっとやれば何をすればいいか分かるはずなのに分かってなくて不思議!! とか俺の知ってる奴なら人に頼る前に10個ぐらい解決法を考える。というかそもそも出来る奴らは車椅子になったりガンになったりしないとかいう回答は問題解決のための思考が出来ない、コンサルとしては非常に無能っぽいリアクションの良い見本。しかし同時に、この発想を受け入れない奴は無能という強迫観念を植付けて実用性のあんまりない主張を支持させるという、セールスの成功例にもなってる。それは裏返せば、客としては相談したらこういう事を言い出す奴には気をつけろというケースモデルでもあるということである。ウマイネ!!