ディジタルネイティブとかんもー

はてな登場シーン見てない
 あのね、その昔ポケモンか何かの非公式コミュニティに検索経由で迷い込んでね、そこであるユーザが唐突に、他のユーザの知能を中傷するような単語を投げかけている掲示板ログを目撃したのですよ。「ななし」とか「あ」とか「通りすがり」じゃなくてね、ガチで定住してるっぽい人がね、何気ない会話の合間にですね、あんたそれ思ってても言うなっていうかこの程度で阿呆呼ばわりとは許容量低すぎるわーってな感じのやりとりをしていた訳です。やりとりっていうか、まあスレッドの流れはその書き込みを最後に数ヶ月前の日付で止まってましたが。
 当時私もそれなりに若くてネット歴が浅かったので、うわあおかしい人がいる!! と大層衝撃をうけ、しかし同時にろくでもない欲求が頭をもたげた訳です。こんな反社会的で唐突な行動をする方は、果たして他のトピックではどんな理解も共感もできない発言を繰り広げているんだろう? そんな疑問が湧きまして、一瞬ためらった後に、同時期では比較的活発そうなトピックのタイトルをクリックしたのですよ。そしたらね、いたんです。彼(?)が。そのトピックは確か、こんな感じのタイトルでした。

[雑談]みんな何年?

 そして彼(?)は、私の記憶が正しければ、そこでこんな感じの書き込みをしていたのですね。

うんこ太郎 2000/XX/YY
 おれ小5

 これを見た途端に、ああ、と一つの思考が頭に灯りました。さっきの衝撃が幾分か、いや正直に言うと殆ど癒され、かわりにまだ見ぬうんこ太郎(仮名)氏への赦しの気持ちが湧いてきました。
 しかしその一方でこの結末と、そこから導かれる論理を受け入れたくありませんでした。なぜなら、この流れをある種のコモンセンスの帰結と見なすならば、様々な状況が肯定されることになるからです。例えば年齢による締め出しです。玉石混淆に占める石の割合が次第に増える宿命にある一方、「石」にも敷居が低いのがインターネットの可能性の最たるものだと思っていました(今も思っています)。なので、一度うんこ太郎(仮名)メソッドの自覚なき実践者として周知されてしまったら、あるいは特に奇妙な振る舞いはしていなくとも(実際、うんこ太郎(仮名)氏より年下を名乗っているユーザも多数いました)年齢で一律に発言の機会を奪われてしまうのはインターネットの美点を脅かすことだと感じたのです。その上、交流の機会を奪われていたために、あるいはうんこ太郎(仮名)的なやり方が一般的であるようなコミュニティに永らく押し込まれていたために、もっと不快な行き違いの生じにくいやり方を身に付けないままになってしまうかもしれません。そのためにさらに長い間排除されることになれば、もはや悲劇です。
 しかるにうんこ太郎(仮名)方式のコミュニケーションを受け入れられるかといえば、そうでもありません。他ではエヴァンゲリオンぐらいでしか耳にしたことのない台詞をカジュアルに発するなんて、無礼とか攻撃的とかいう以前の問題です。憎悪の閾値が違いすぎて、何が地雷だったのか以前に、何かに腹を立てていると言ってよいのかどうかすら定かではありません。もしこのような感性が多数派となれば、今度はこちらが狭い、偏ったコミュニティに押し込められることになります。仮に我々が慣れることができたとして、さらに別の問題が生じます。非うんこ太郎(仮名)氏式コミュニケーションに未だ慣れない人たちのいるところでは控える必要があるでしょう。結果、どちらに合わせても排斥状態はますます厳しいものとなります。
 そしてもう一つ、あちらの感性を標準とすることは、うんこ太郎(仮名)たちにとっても喜ばしいことではないかもしれません。件の発言はいわゆるスレッドストッパーとなっていました。もっと同じ話題で盛り上がり続けたかったとすれば、すでにこの発言スタイルのせいで困難に直面したと言えるでしょう。うんこ太郎(仮名)氏より年下を名乗るメンバーがいたにも拘わらず、すでに排斥が起こってしまったとも言えます。
 もっと露骨でありふれているのが、この対立と孤立の問題です。生活が掛かっている訳でも、全実存を賭けるほどの価値を自ら認めもしないような類のトピックで、うんこ太郎(仮名)氏よりずっと年上で、より言葉が通じる感じになっている人たち同志が互いを排斥しあうのです。排斥しあう、というと観念的で、何となくエレガンスな響きがありますが、実際に起こるのはもっと見苦しいやりとりです。

ノー結論戦法