対話の可能性

俺がマルコさんを一点信用しているとすれば、マルコさんは対話を遮断しようとすることは絶対にしなくて、どんなに罵倒しながらも対話を続けることには開かれてるというところがあると思うんだけど、それは俺はわかるけどタイプが違う人にはわかんないのかもしれない。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/pha/20070611#c1181575168

 殆どの人は会話のその先というものに絶望しているのではないでしょうか。
 先に絶望というのが乱暴ならば、対話したいという要求をタナトス的にしか受け取れない・タナトスでしか発話欲を涌かせることが出来ないと言うか。殆どの人ではないかもしれないけど、おそらく非コミュ非モテの人は大概そうで、これら非なんたらの問題の核はここかもしれません。何かfinalventの人みたいな口ぶりだけど。
 そういう人たちに対話の可能性がどうこう言うのは、可能性を担保する為に出費や忍耐を強いられているようにしか感じられないのではないかと。
非コミュと合気道(そのうちかくかも) - phaの断片 - 断片部
 これを読んだとき、まさしくこれは感覚統合障害なる概念で呼び示される問題そのものであり、ああこれじゃ自閉症スペクトラムの人は一生ニューロティピカルと分かり合えないじゃないかと思いました。
 対話は非・非なんたらが非なんたらを雑魚認定する儀式で、その対話の可能性を担保する為だけに非なんたらが必死で努力、という悲しい構図がありそうで、その苦しさを訴えようにも窓口は「対話」しかなく、結果として最小限の予算で言論テロが一番合理的、というまるでどこかのゲリラみたいな状況に我々は居るのかもしれないと思った朝なのでした。