食通小説の記号学

 間違えて録画した視点・論点で、面白い話をやっていたのでメモした。

  • 食通とは、味がわかるとか、古今東西の料理に通じているだけでなく、味を表現できる人
  • 想像力を通じて表現で繋がる→ワインテイスティング表の(変な)表現、美食倶楽部(谷崎潤一郎)
  • 元々言葉で作られた料理なので、読者にも容易に想像できる→茶粥の記(矢田津世子)の鈴木君の語り
  • ランク付けの欲望、ランクが料理の美味しさを創る→明治時代の料理屋見立

 味を障害なんとかと置き換えると、http://b.hatena.ne.jp/torly/20071221#bookmark-6878525辺りに通じてくる気がする。

フィクション⇒不正確という発想がある気がした。裏・逆はまあ正しかろうが、こちらは所謂当事者主義臭の源かも

 このコメントを書いた後、対偶(正確⇒事実である)がナラティブではなく科学(というか再現性)に回収される当事者体験を示している事に気付いたので創作として云々は関係ないなあと思った*1んだけども。

*1:それに私本人はといえば、例の文章を見たとき、不自然な部分を母親の態度が引き起こした問題だと解釈した。実話かどうかはともかく、物書きが趣味の人の受容体験としてそれらしい(よく訓練された障害者の家族の語り)と感じた。障害者は実在すると思わなかったが、障害者の家族は実在していてもおかしくないと思ったのだ。