g:fragments:id:stjohnswood:20070513:p2
一連の鯖女とかファッションとかの議論の起点になった(と思う)、「女子らしくしたくない」女子を好む増田の人が断片部にエントリをうpしていることに気付いた。ので、便乗して疑問だったことを書いてみる。
でもちゃんとビッチマインドだけはインストール済みっていう
http://anond.hatelabo.jp/20070506172741
ビッチっていうと、
- 今日的な、骨のある女的意味合い。アメリカのブラックカルチャー寄りっぽいアレ。女子回路欠落系
- 本来の罵倒的な意味合い。このアバズレ!! 売春婦め!! 的なアレ。女子回路過剰系
のどっちかだと思ったんだけど、前者なら勿論何かにつけ女子っぽさファックオフな人は勿論大概骨のある奴っぽいし、後者における女子ジェンダー規範守ってねー!! 的な意味合いは勿論そのまんまだしで、何が不都合なのか全く分からなくて困った。保守的(文字通り)に推論して、この売春婦め!! の意だとしても、あんた自分で男女交際申し込んでおいてそれはなかろう。
で今回、多分後者の意味合いが強かったということがめでたく判明した訳だけど、やっぱりそりゃそうなんじゃないの、何か不都合が? という思いは消えないまんまであった。
相手の地位や繁栄を持ち上げる感情作業は、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)が名づけたように「シャドーワーク」、つまり目に見えない労力の一形態である。これは家事労働と同じで、実際の労働としてはカウントされないが、しかし物事を処理するには非常に大切な作業である。家事労働をうまく片付ける秘訣は、苦労の形跡を消して、ただ清潔な家とおかえりなさいの微笑を提供することである。
管理される心―感情が商品になるとき P.192
しかし、女性はこの作業を男性よりも多く行うことを余儀なくされている。ウィクラー(Wikler 1976)の研究では、学生たちは女性教授に対して、男性教授よりも、思いやり深く理解があるだろうと期待している。そしてこの期待との落差の分だけ、多くの女性教授たちは冷淡であると認知された。
管理される心―感情が商品になるとき PP.193-194
(中略)
適応性に富み、協力的で親切である女性は、公的な場の後ろの私的な場にいるのであり、その結果彼女は、しばしば物事を論じたり冗談を言ったり、また人にものを教えたりすることは不得意で、むしろこれらの行為に賞賛を送ることの方が得意だとみなされている。彼女は会話におけるチアリーダーである。彼女は積極的に他の人々――普通は男性だがときには女性(彼女は他の女性に対しても女を演じることがある)――を引き立てる。彼女がそれを当たり前のようにやってのければのけるほど、彼女の労働が労働として見えなければ見えないほど、他には<何もない>かのように巧みに装われていればいるほど、彼女の気立ては評価されるのである。
女らしくない⇔サービスはまるでない
。ホックシールド先生もそう言っています。
つまるところ、女らしさとビッチの2語から見出すものが違ったというだけの話なんだけど、たったそれだけでこれだけ食い違えるのが不思議。ネットは広大教育学部だわ。鯖女も多分そこが問題なんだと思う。これはもはやセカイ系の成り立ち*1なみに違う概念がkanose氏によって形成されつつある気配だけど。
まあ要はアレ、ただ自分が奇形的ブサガリだからかもしれないけど、恋愛のリソースを割きたくない件に対してとっても冷淡っていう意味で言ったら大概男性はビッチですよ! 恋愛に興味のない人は男女問わずビッチだし、同性にしかそそられない人はもれなく異性にとって超ビッチ。サバサバしてる男は意外と想像しづらい。鯖男て。明和電気か。ママは試験管か。じゃあ逆は何だろう? ブリブリ? ネチネチ? どちらにせよ(自称)鯖女における「私マジョリティじゃない方だった!! でも結構イケてるかも!! 新ジャンル!!」的ニュアンスがない。特にマジョリティじゃない方だけど激レアじゃないっていう辺りの微妙な類型感が。無理矢理収めたら、鰤夫(ブリーフ)はオネエキャラっぽい気がするが、ちょっと異性とか恋愛とかいうのとは離れるな。てな具合に、恋愛における男性の価値観バリエーションが狭いというか、女子キャラの偏った差異化が異常なのではないかしら。何か言語化したら面白くなくなったな。