補足

やつら

じゃあキモくない人たち・他者をキモいと括るのが好きな人たちと呼ぶ方向で。差別主義者を糾弾するのは差別か問題。

はてなブックマーク - はてなブックマーク - otsuneのブックマーク / 2007年5月30日

 元々別に相手はキモイと思ってないという議論もあったけど、それはさておき。
 私が考えたい素晴らしい人的なものはこんな感じです。
(´・ω・`) <何でか昔から自転車乗れないマジ不便
( ゚∀゚) <乗れば乗れるよ!!
(´・ω・`) <え?
( ゚∀゚) <え?
 まずこの手の人は十中八九教える能力に欠けていて、しかも何故かその自覚に欠けているのが鬱陶しい。そこで、ただ「乗れる」から「乗り方を教えられる」に移行できないのは何故か、あるいはそのギャップに気付かないのは何故かとかを考えたり、乗れるだけの人を上手く追い払う方法とか、乗れば乗れるよ攻撃から自尊心とかモチベーションみたいなのを守る呪文とか、自転車に乗れない人による自転車に乗れない人の為の自転車に乗る方法を考えたりしていきたいと思います。乗れますけど。
 つまり、「奴ら」はいわば勝手に弾に当たりにくるマン的というか、陽に偏った重力属性というか。もし括られたくなかったら、人にアドバイスしたくなった時は「乗れば乗れるよ!!」以外の発言が出来るかどうかよく考えればいいんじゃないかしら。他の人はどうか知らない。

リア充ブロガー問題

普段書いてない層、普段僕があまり関わることがなかった・ない層、どちらかというと進んで交流したくないかもしれない層に、そういうビジネスブログ界隈の前提を取っ払ってエントリを書いてもらうと、いまブログ界隈にあるノリを知らない状態だからか、素直に、割と真面目な文章で感心するエントリを書く人がいるよなあ、という話で。

http://plaza.rakuten.co.jp/catfrog/diary/200705300003/

 まあこういう話なんですが、それは果たしてリア充性と相関のある話なんでしょうか。

 下の件で言えば、日記でも掲示板でもはてブコメントでも、web上で何かを読んで書く、それも他人の目に触れるところでというのが、すぐに贈与交換的色合いを濃くするというお話だと思ったわ。絡めないぐらい濃い日記には反応はない。少なくともはてブ以前の世界では。ホッテントリ入りが特定タイプの日記を書かせる報酬になっていると考えると、衆愚化は必然だということも分かります。互酬性互酬性!!
http://slashdot.jp/~float32/journal/399580?light=1
 単にフィードバックによる強化でも説明できるけど。負のフィードバックにご注意!

昔ノウアスフィアの開墾翻訳出た出た!! って騒いでる人が一杯居たっけ

 互酬性にしろフィードバックにしろ、今の日本blog村*1の需要と供給的なものから決まった傾向の影響が色濃いと思いました。
 日本blog村向けじゃないエントリなら、みんなしばしばそういうノリになるのではないでしょうか。ネットの私的利用はmixi(もちろんマイミクは全員リア友)と携帯メールだけのリア充ofリア充だからだろうと、社会人としての人格をちらつかせながらblogを書くのに不慣れなだけの人だろうと、普段半匿名で先日買ったラノベがどうとか非モテヲタだった高校時代に同じクラスのサークラ女がどうとか書いてる人だろうと。もちろん貴重というだけで生じる価値もあると思うよ(パンサー

*1:似た名前のサービスとはあまり関係ない