これを書いた人には興味はありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。

そこは60年ぐらい前に通過困難だと判明した場所だッッ

2007-09-23 - 力士の小躍り

http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070925/p1
 草氏の突っ込みで充分な気もするが、定量化され充分な客観性を持った検討の困難が繰り返し問題視されていると指摘しておく。

定性的研究は、定量的研究と比べて科学的でない、と評される場合がある。比較的よく見られる定性的研究への批判には以下のようなものがある。

  1. 古典や理論などを解釈し続けるばかりで実用性、応用性、実証性に欠ける。
  2. 研究対象となる異文化などに研究者自ら参加してしまうため、客観性があるかどうかが疑わしい(参与観察など)。
  3. 研究者自身の経験を題材にしており客観性があるかどうかが疑わしい(アクション・リサーチなど)。
  4. 客観的な研究が望める事実判断だけに研究を限定せず、善悪や美醜をめぐる価値判断も扱っている。
  5. 言語や身振り、表情の意味の解釈などを含んでおり、判断の恣意性、主観性が高い。
  6. 研究を通じて特定の価値判断や物の見方を広めようとしており、中立性を欠く(文化研究など)。
  7. 結論に辿り着くプロセスとして、仮説の選定、調査のデザイン、データ収集、分析、結論という順序に従っていない。このため、他の研究者が同じ研究を行っていた場合には結論が異なっていたのではないかと疑われる。(グラウンデッド・セオリーなど)
  8. 研究を発表するスタイルとして、事前に採択した仮説、調査のデザイン、分析結果、解釈、結論という体裁をとっておらず、結論が主張され、それを支持する証拠や主な反証に対する反駁が示されるという形をとる。この場合、調査のデザインや分析結果が示されている体裁をとっている場合と比べて、結論を出す際の元になったデータの全容が第三者にはわかりづらい。結論に説得力を持たせるために切り捨てている部分などがあったとしても、第三者はそれに気づかない可能性が高い。
定性的研究 - Wikipedia

 DQNの子はDQN」という世間知て、そりゃそもそも科学ですらないし、「人間」は環境が作るが真理などというと増田だったら釣り記事扱いというのが真理。それを言えばそもそも例の詩は統計データを欠く為に世間知(に見せかけた説教)に分類されるべきものである。
 ちなみに統計に裏打ちされた人間性の研究というと、シェルドンの気質類型が知られている。ちなみに1940年頃発表。おお、我らが定性的研究はすでに統計学の手に落ちていたのだ!!
性格 - Wikipedia
Somatotype and constitutional psychology - Wikipedia
William Sheldon - Wikipedia
 しかしこれも最近統計的に怪しいのではないかという話が出たとか何とか。ガッカリだよ!! ミンキーモモが死んじゃうよ!!
 さらに言えば、これらの問題は実際環境(あるいは体質)・人格・行動という3つのパラメータに分けられるべきではないのか。Wikipediaの関連項目の文章が面白かったので、これを例にとってみる。

心理学において人格という用語は,personalityの訳語として用いられるようになった。しかしながら,心理学においては personalityという単語には価値的な意味が含まれていないのに対し,「人格者」という言葉にあるように価値が含まれていることが多く,心理学においても用語の用い方に混乱が生じている面がある。日本において「性格」「人格」と使い分けられている言葉であっても,英語ではpersonalityである場合がある。このように,日本語において性格と人格という用語は,ある種の慣用的な表現に過ぎない可能性もあるという点に留意する必要がある。
事故や病気等による外的要因を除いて、幼少期における経験や体験が、人間としての人格形成に大きく影響を与えていると思われる。幼児期に親の愛情を受けずに(ネグレクト等)育った子供は、表情(笑顔等)が少なくなったりする傾向がある。また、こういう環境で育った子供は、脳の発達具合にまで違いがみられる。

人格 - Wikipedia

 表情(笑顔等)が少なくなったりするという節は行動に分類される情報としてよいだろう。しかし、他の部分を見ると途端に解釈困難な記述に出くわす。人格者 というのは、人格者っぽい行動をとる傾向のことを指しているのか? あるいは外胚葉型気質のように、人格者という性格傾向を持つ人たちがいると言いたいのか。
 また、脳の発達具合にまで違いがみられるというのはどうだろう。情報としては客観的極まりない(ソースが抜けているので何ともいえないが)ものの、筆者はこれを行動(虐待→脳が縮むという現象)として使って欲しいのか、人格的なものの違い(脳の発達が顕著に遅れていれば、同年齢の健康な子供と何かが違うだろう)を指しているのか、あるいは被虐待性格なるものをもたらす背景的要因だといいたいのか。謎すぐる。結論としてはその時その時に適切に扱うしかないのだろうが、せっかく定量性の出てきたデータをみすみす定性汚染しているのではないか。はてブに脳タグを作っている者として慙愧に耐えないし、草氏の指摘したアレも侵犯しまくりそうである。
 こう単純化するとS-R心理学とか揶揄されたりするが、定性臭放ちつつパラメータを増やしたところで問題はなくなりそうにない。

 たとえば「スラム街出身の黒人による犯罪率が高い」という統計がある場合、それが「黒人差別を助長する」という理由では、その統計事実を否定はできない。
 ここでは「黒人差別反対」という信仰告白と、あるいは「統計」から傾向を見つけ出す「科学的」な思考の、どちらの価値観を優先させるかという、非常に重要な問題提起を生むことになる。
 しかし、逃げ道として、社会による差別と貧困が黒人の犯罪率を上げているのだ、という反論も行われている。そして一定の信憑性を持って語られているし、説得力も有している。だがそれは原因の主体を変えているだけで、「統計的事実」が変わっているわけではない。
 ここでもしも、遺伝子や脳の研究が進み、邪悪な思考というのが遺伝的に「黒人に多く備わりやすい」という「科学的」な「事実」が発見されたとき、これはどう解決したらいいのか?

2007-09-23 - 力士の小躍り

 今、というか以前から現実に、アメリカの刑事捜査における冤罪率の高さや、司法関係者が必要以上に黒人に対して厳しい可能性などがささやかれている。ある地域で黒人の犯罪率が高かったとして、冤罪である確率(あるいは白人・黄色人種が有罪であるにも関わらず逮捕・起訴を免れる確率)と強い関連性が見出されたらどうなのか。その「邪悪」の遺伝子が冤罪になりやすい性質を生んでいないと言い切れるのか?
あわせて読みたい: id:torly:20070913#1189679973

宗教者たち

 っていうか、研究の恣意性(誤用じゃない方)から考えると、既にこの手の研究は「宗教」に基づいて運用されている感がある。
なんでも評点:若い女性は裸に近い姿になると思考能力が著しく低下することが実験により判明
「女子は数学が苦手」はステレオタイプのせい――米大学 - ITmedia NEWS
 昔ならこれらのデータは女性の能力の低さを裏付けるものとして扱われただろうが、研究者も報道も「偏見やself-esteemの欠如が能力を損なう」という見立てを控えめながら押し出してきている。言わばアメリカの一部は、ひぐらしのなく頃にで言うと皆殺し編が始まった辺り。ちなみに日本は多分梨花の母親が行方不明になった頃。
 ただ、多様性を肯定的に捉えながらも具体的な利点を挙げられる人は少ないという調査から分かるように、「宗教」が浸透すれば即何とかなる訳でもない。あくまで価値観はコストを割かせ、「悪い」行動を阻止するきっかけに過ぎない。