and tho' your music lingers on

それでもまあ、われわれは会話しながら「俺は今まったく無意味なことを喋っている」「こいつは今まったく無内容なことを喋っている」とはあまり意識しない。

http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070709/p1

 えっいつも意識してるお(^ω^;)
 と言っても日常の発話に論理性はワーワーみたいな、倫理か現社を真面目に勉強していれば高校で通過する場所と言いたい訳ではなく。

Aを成すにはaをするという側面で

 aは出来ないからとか、bの方がイノベーション的とかラストマン戦略的というかでbに走ると、そもそもaを知らないみたいなしかられ方をするという謎というかジレンマというか罠に最近気付いた。
 まあ本当に知らない人もbを選ぶだろうし、何も考えずにaを選んで続けて得られるものもあるんだろうけど、何かのおかげでaを回避せざるを得ないという状況の理解されなさは異常である。緘黙であるとか感覚統合であるとか前頭葉とか、あるいはそれらに象徴されるようなの。
 恋愛カテゴリに入ってるのはたまたま言及するからで別に非モテ・アンチ非モテ議論をしたい訳ではないけど、http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/comic/3875/1182392920/に満ち溢れているような恋愛不能者は人格欠陥者という見方のように、「意味がある/無意味である」という切り分けが、単なる個人・集団内の優先度を超えて異教徒狩り的に響きすぎる感があり、皆それに無頓着すぎる。

非力すぎて風船が膨らませられないとかボール投げに参加できないとか

 上の非モテ議論と見せかけた藁人形公開処刑では非モテ・アンチ非モテが拮抗している(というかアンチ非モテが話を聞いていない)ようですが、世の中はどちらかというとどっちかに偏っている事が多くて、その常に偏って狩られる側に居ると、無意味を無意味として扱ってしまうのかも知れませんね。
 何処で見たのか忘れたけど、マイノリティとは数の多寡ではなく良きロールモデルの不在であるという話を思い出す。
 これらとも関係するかも。