近眼になり、眼鏡をかけるのは障害者になるということだった

 少し前に眼鏡の蝶番が折れて、修理の為に数日間眼鏡なしで過ごした。その間改めて思ったのは、ABCD判定法でCやDになるような近眼である事、そして眼鏡がなくなると視力が大きく下がることはとても不便であるということだった。思ったっつーか忘れてた。子供の頃は視力が下がりきっても永らく眼鏡無しで通してたくせにな。
 ついでなので、何故眼鏡を導入せずにいたのかについて考えてみる。まあ嫌なものは嫌だった、かけたくないからかけなかった(多分洋服の試着が嫌いなのと似たような理由で)んだけど、この眼鏡着用生活の持つ「障害」性が重要だったとも思う。内心の問題をクリアしても、さらに外的要因として立ちはだかる色々。榎木僧正みたいに、その他諸々の要因がメガネの一言で覆い隠されるのが嫌だとか(そんなことを言ったら緘黙(誰も緘黙なんて言葉は知らなかったようだが)とかブサとか転校生とかでもそうだけども、まあ気分として)、眼鏡を取り上げたり、汚したり壊したりといじめがより容易になるとか。あと、体育の時にかけっぱなしにするか外すか迷う。
 そんなこんなで、眼鏡が壊れてたりなかったりしてとても困る数日間を満喫したのだった。おかげでただでさえ遅れ気味なダイアリの更新がさらに滞った。もちろん壊れた眼鏡を治すか新品を買うかせねばならなかったので、雨の降る中地元の安売り眼鏡のチェーン店を訪れたのだが、ついでなので念願の散髪に行きたいと思った。思ったものの、美容院って眼鏡を外すんだよな。多分理容店でも外すだろう。その際、手でサポートしないと折れた部品が脱落してしまうし、雑に取り外すとネジがどこかに吹っ飛んでしまう(サポートした手とうまく連動しないとさらに吹っ飛びやすい)。それはめんどくさい。細かいネジを眼鏡無しで探すのは困難。修理するには部品が全て揃ってないと色々問題がある。ではその旨を口頭で伝えればいいんだろうが、これがまた考えただけでめんどくさい。いきなり椅子に座るか座らないかのうちに眼鏡を気をつけて取れとか言われたらさぞウザイだろうし、かといってギリギリに言われたらそれでパニクらせて落とされかねない。いざ取ってネジを飛ばしそうだと思ったら警告を飛ばせばよさそうだが、そんな短い瞬間に適切に注意できるかっての。では、テンパったりウザがられたりしないように理由もつけて(それが自ずから避けるべきケースを示している)早めに頼めばいいかもしれない。が、早めにっつったってそんなに時間はないし、この節で先ほど書いた理由を全部述べてたらそれはそれで不審だ。早口になると不審さが指数的に増すし、かといってタラタラしてると、話が終わる頃には最初の方に言ったことを忘れられてしまう。そう、ちょうど今この日記の読者に起こっているように。ああもう、私非コミュだけど察しの悪い人に接客業やって欲しくない。

新しい「間」の発明

 まあ結局美容院には単に寄り損ねたので行かなかったけど、こんな文章を見かけた。

僕が他人を見ていて、よく感じるのは「反射神経が鈍いな」ということです。他人の話にパッと反応できないんですね。以前に「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」というエントリーも書いていますが、あまりに反応が鈍すぎて会話にならなかったりします。

「機を見るに敏」ってところが足りないよね: DESIGN IT! w/LOVE

 後半の言を借りれば反射神経の鈍さは自分と対象の間にあるので、まさしくどちらかが機敏であればいいってもんじゃないと思う。でも前述のような時に、美容師か私かのどちらかがコミュニケーションにおいて優れるべきだったというような発想にいたるのは、落としどころとしては現実的でも発想としては不十分だったのは事実だと思う。もうちょっと「障害者」としての眼鏡ユーザへの配慮の重要性が周知されていれば、こんなに迷わずに済んだに違いないし、この配慮の必要さ「のための説明の必要さ」、そしてその説明のキモさこそが障害っぽさの正体ですらあるのかもしれない。もちろん、キモさは両者の間にある。
 今あるコミュニケーションがアプリオリでないということをはイク発達障害関係の話を見ていたときに思って、是非コミュニケーション能力に問題があるとされる障害を持つ人々の為に新しいコミュニケーションの型を発明したいものだなあと思った。もちろん今既に図や写真のついたカードを使う方法があるが、これは主に子供を養育者や教員が訓練することを前提としたグッズである。正常人とあまり差のない自称何とかレベルの成人が使い出すのは珍妙で、「キモさ」を克服するどころか悪化させかねない。それに障害児教育においては周りの人間にもカードを理解する動機があるが、前述のような状況で美容師に眼鏡の面倒さをあらかじめ知っておいてなんとかしようとする動機が果たしてどれだけあるかというと、まあぶっちゃけないよね。しかも、当の眼鏡ユーザー本人もトラブルに見舞われてようやくことの重要さに気付く次第で、こんな物理的実体があって見た目に分かりやすい問題でこうなんだからコミュ力とか道程遠過ぎワロタと思ったのだった。特にオチや結論はない。