補足

 ちょっと説明抜けた。

大概の場合、ゼミの方針はすなわち教授の方針で、学生は教授の求める方針を守りつつ、その上で自分独自の何かを追求せねばなりません。

ところがブサイクだと、何をやっていても、例えば医学の学会で「水にありがとうと話し掛けて急性のがん患者に飲ませたら治ります!! 今は凄い勢いで悪化してるけどこれは好転反応です!! 多分この学会が終わった直後ぐらいによくなる気がしないでもありませんっていうか信じてます!!!!!15みずでn」と発表するぐらいの冷たい眼差しを感じます。これがうっかり美人だったり巨乳だったりさせ子だったりすると、何をやっててもなあなあオッケーな感じになって(略)

の間にこういう議論があったと思って読んでくだしあ><
 大概の人は分かりやすく、言語的にかつ体系的に目標を設定ないし表現できません。さらに、目的の設定に関して優先権が薄い人が動きやすいようにというようなレベルにおいては、大半の小組織が失敗していると思われます。では大半の人はどうやって目的を他人と共有しているのかというと、おそらくホックシールドの指摘した感情規則によって暗黙裡になされているのでしょう。管理される心―感情が商品になるとき未読の人にも分かるように言うと、つまりはなあなあgdgdです。しまいには、経済性や合理性をうっちゃって、不快ではない情緒的交流のある状況を保つ事に拘泥するしかなくなったりします。分かりやすそうな例証は、日本で典型的とされる家族主義経営の中小企業(の駄目な時)や、所謂仲良しグループが駄目であるとされることです。
 そんな中において、イマイチ女性を性的な好ましさで評価することから抜け出せない的空気が濃いと、上記引用のような状況が訪れます(アカデミーに限らず)。女性がリーダー的立場だとそれらの空気が薄まりそうですが、残念ながら日本の教授は僅か9.7%だけが女性(平成16年 cf. http://www.gender.go.jp/whitepaper/h17/danjyo_gaiyou/danjyo/html/honpen/index.html)です。やっぱ米国に出るしか。