続・顔を見る

 承前
 もはや化粧の話とは離れるけど、顔を見ることについて続き
 顔を見られないのはなんだろうかと考えてみると、意味なく目が合うと不快だからではないかと思った。相手がこちらの顔を見ているかどうか、自分も相手の顔を見て目が合えば多分見ていると思うんだけど、これを避けるために顔を見ないのかもしれない。顔を見ない⇒人を覚えられないではなく、人を記憶する動機が薄い⇒顔を見るよう動機付けられないという考え方もあるけど。
 もちろん前述のように、ファンデーションの毛穴落ちが分かるぐらい近距離で向かい合っていては顔を見ないようにする方が不自然なんだけど、おおむね視線を合わせる/そらすことが何らかのジェスチャーと受け取られうるという点は外せない。しかし、純粋に社会的というよりは、かなりの部分で生得的な感じがする。
 でも世の中意外と顔を見る人は多いらしく、多分それらの人は目を合わせることに不安を感じないという訳でもなさげ*1。恐らく前述のように相手が先に視線をそらせば、相手と目が合う不安を脇にどけて思う存分見つめられるんだろうと思う。誰もが気まずい思いをせずに見つめ合える間柄でもなく、このそらす・見つめるの関係が常に綺麗な円環関係を作っているのでもなければ、人の顔を見ないのが習い性になる人がいるのは道理だと思った。一方、意味なく目が合えば気まずいと知ってはいるけれど、日常そのような体験をすることは滅多にない、しかし相対していない人の顔を良く見る性質であるという、いわば視線強者とでも呼ぶべき人々もいるのだろう。

*1:各種神経学的研究からすると、不安の多寡やジャンルの偏りは確実にありそうだが。